いもじろうの雑記

庭の池、水槽、DIYのことや普段の生活について書いています

国立市のマンションのこと

積水ハウスが東京都国立市に立てたマンションのニュースを目にした。
マンションを建てたが、地元住民からの反対に屈して(?)建物を取り壊すことにしたらしい。
社会人生活の大半は建設業に従事していた身としては非常に気になるニュースである。

ポイント

ざっと見たところだと以下がポイントになりそう。
自分で取材したわけではなく、ニュースの記事などを見ただけなので100%事実かどうかは分からない。

  • 建物は法令を遵守して建てられている
    建物自体に特に違反はない。
    (建物自体に)なにかやましいことがあるから解体するのでは、という意見もあるが現時点ではそのような事実はないので一旦無視する。

  • 建築確認申請他必要な届出はされて、許可を得ている
    役所としてはマンションを建ててよいですよ、とお墨付きを与えた。

  • 近隣の住民は反対していた
    富士山が見えなくなる。日当たりが悪くなる。

  • 国立市からは指導書が出ていて、積水ハウス側は一応対応した
    建物のボリューム感の低減などについて住民への丁寧な説明等を求めるもの。
    積水ハウス側は計画を見直して、建物高さや階数を見直した。住民の要求(4階建て?)にはなっていないが歩み寄りはした。

  • 国立市では同じような問題が過去にもあった
    同じようにマンションが景観を損なうとして住民が事業者や都、市を訴訟したり、事業者が市を訴訟したり、さらには市が市長を訴訟したりと泥沼化していた。
    マンションはかなり売れ残り(これだけケチがついたマンションを買いたい人は少ないだろう)事業者は多額の損失を被ったらしい。

  • 住民側も事前に予防策は取れた
    あまり詳しくないが、建物の高さや外観等について自主的に建築協定というものを作れるらしい。
    参考:「住宅:建築協定 - 国土交通省」

何故マンションを取り壊すことにしたか(憶測)

僕は積水ハウスの関係者でもはないので憶測に過ぎないが、以下のようなことを考えたのかな、と思った。

  • 企業のイメージが悪くなる
    地域住民や自治体を相手取って裁判等をやっていくと企業イメージが悪くなる。
    積水ハウスは個人向けの住宅の売上比率が高く、あまり近隣と揉めるイメージを持たれると顧客から敬遠されるリスクがある。反対している住民も潜在的な顧客と言える。
  • 壊すのが一番損害が少ない
    全国区でニュースになり地元と大々的に揉めたマンションを買いたい人は少ないと思われる。
    自身の正当性を認めさせるために色々なところを相手に裁判をやっていくにしても、費用も手間もかかるし、結論が出るころには皆忘れてしまっているだろう。そこまでして建物を残すメリットはないと考えたのだろう。
  • 保険適用できるのかも?

    建物をつくっていくという一連の流れの中で、第三者に色々な被害を与えてしまう事がある。また大きな損害が出る事もある。
    事業者はそのための保険に入っているので、もしかしたら保険適用できることを確認したのかも。(注:僕に保険の知識はないので、完全に憶測です。

個人的な意見

結論から言うと、僕はマンションの取り壊しはしてほしくない。

規模をもう少し小さく置き換えて身近な問題に置き換えてみると、

自宅の前にあった田んぼが住宅地として開発された。
それまでは家の窓から〇〇(富士山的なもの)が見えており、日々の生活の一部となっているし、自身の誇りでもある。目の前に住宅を建てられると〇〇が見えなくなる。
さらに家の日当たりも悪くなるので、いくら法令を守っているとはいえ建物は建てないでくれ。

という感じだろうか。自分が家を建てる側だとしたら難癖をつけられたと思わないかな。


確かに近隣住民との対話や歩み寄り等も大切だと思うけれども、利害関係にある2者が完全に満足できるような解決策を見つけるのは限りなく不可能に近い。
そこで法律なり条例なりのルールがつくられていて、それを守ってやっていきましょう。というものだと思う。

何より嫌なのが、これが悪しき前例になって他でもこういうことが頻発するのが怖い。元建設業従事者としてはかなりしんどい思いをして作り上げたものをすぐ取り壊すってのは気持ち的にもキツい。お金をもらったんだからそれでいいだろう、といえばそうなのだが、そんなに簡単に割り切れるものでもない。

そして今回の一番の被害者であるマンションに引っ越す予定だった人たち。
既に引っ越しの準備や今住んでいる家を手放す段取りなんかもやっていただろうし、補償すると言われてもそうそう割り切れるものでもないだろう。
これからどうなるか分からないが、彼らがきちんと納得できるような結末を迎えてくれることを祈る。